ご近所 歴史 再発見!その5
敵情視察も…ありかも!?
ご近所歴史 再発見!その5は、本当にご近所の久留米市からレポです!

…と言っても、会津にも幕府軍にも関係ないレポです。
関係どころか、ある意味敵方ですけれど。
今回の人物は「勤皇の志士のさきがけ」とも言われている人物『高山彦九郎』に迫りたいと思います!

さて、この高山彦九郎なる人物、九州の生まれではありません。
延享4年(1744年)5月8日、今で言う群馬県太田市というところで生まれ、日本中を旅しながら人々と混じり合い、学び、日記に記した江戸中期の人。
彼は尊皇の思いが強い人物だったようで、幕末の所謂勤皇の志士と呼ばれる人々の中には、彼に影響を受けている人物も多いようです。(高山彦九郎記念館のサイトでは錚々たる人物の名前が挙がっています)
なんでも、京都へ入る時には必ず御所へ向かって地に伏して礼をしたとかで、今でも京都には彼の地に伏した像があるらしいですね。
私は見たことがないのですが、弟が一度見たことがあると話していました。
そしてなぜか久留米の知人・森嘉膳宅にて自刃していらっしゃいます。(享年47歳)
自刃した理由ははっきりしたことは分かっていないようですが、幕府の反対により光格天皇の実父・典仁親王への尊号宣下が保留されたことと関係がありそうです。

というわけで、もう日暮れが迫っていますが、近くなのでひとっ走り行きますか!
場所は久留米市寺町。
その名のとおり、近隣には17の寺があるとか。
数えたことはないですが、確かに多いです。

道がとても狭いため、気を付けて安全運転。
弟嫁の地図を頼りにたどり着きました!
『遍照院』と『高山彦九郎先生之墓』の看板発見!
ここで間違いないですね。
遍照院の入口ですが、高山彦九郎の墓は入口入って右です。
陽が落ちかけています。
車を止めて、急がなくては!
入口手前に案内の石碑発見。
ひっそりしすぎです…。
『高山彦九郎先生終焉の地は是れより東北三町』
と刻まれています。
終焉の地の案内の石碑だったんですね。
終焉の地は後ほど行くとして、まずはお墓へ。
到着!
そんなに遠くないけど。
しかし何だか凄い画ですね。
お墓は小さいですが、その前のこの祀られようが…。
流石『先駆者』扱いが違います。
上左/墓の傍に建てられた案内看板

上右/案内看板の右の文字部分拡大

左/墓の前の看板(木製)

…何か凄いなぁ;


上/囲われた高山彦九郎の墓
柵にはばまれ、傍にはいけません…。

左/高山彦九郎の墓
戒名の「松陰以白居士」の文字が見えます。
上左/西道俊の墓(通称・ひょうたん墓)
西道俊は高山彦九郎の知人で、彼が自刃したことを知り、彦九郎の墓の前で自刃した人らしいです。

上右/辛未遭難志士之墓
詳しくわかりませんが「明治四年事件」で遭難した、久留米藩関係者の墓碑だそう。
「明治四年事件」っていうと、維新後に攘夷から開国に方針転換をしたことにに反発し、攘夷を目指して久留米藩に来た大楽源太郎らを、一度は匿うものの新政府からの圧力に屈して殺害したとかいう事件でしたか…。
ということは、その事件の久留米藩側の関係者の墓碑っていうことですね。
上右/耿介四士之墓
「明治四年事件」で久留米藩を頼って来たものの、結局殺されてしまった大楽源太郎、山縣源吾、小野清太郎、中村要助の墓です。

上左/大楽らの殺害に加わった三名の墓
川島澄之助、松村雄之進、柳瀬三郎の墓です。耿介四士之墓は松村雄之進らが建てたものなんですね。きっと、心ならずも手に掛けねばならなかったんですよね…。

右/耿介四士之墓の看板拡大
さて、ここから移動です。
次は高山彦九郎が自刃した終焉の地へ向かいます。
かの終焉の地は『森嘉膳』の屋敷跡だそうです。
ちょっと道は分かりにくいですが、歩いて移がは可能。
陽が落ちて寒くなってきました…。
急がなくては、写真撮れなくなりそう!
てくてく歩いて、やっとたどり着きました!
狭い道だし、結構車の通行量も多いので、隙を見て撮影。
慌ててたからか、ちょっとブレてしまいました。

『高山彦九郎終焉之地』全景です。
左にある案内看板の拡大画像。
文字見えにくいですね…;
このこんもりとした山は一体何だろう…?
何か意味があるのでしょうか、謎です;
画像左端にはこの終焉の地について刻まれた碑が、右手には『高山彦九郎先生終焉之地』と刻まれたでかい碑があります。
嗚呼此地ハ高山彦九郎先生終焉ノ處ナル先
生寛政五年六月二十七日森嘉膳ノ邸ニ於テ
屠腹シ翌曉ニ至リテ瞑ス夫レ維新中興ノ
皇運啓成ノ功實ニ先生ヲ魁首トス其遺阯■
タ傳ヘザルベ■ンナ嚮ニ三井郡教育支會■
保存ヲ企テ土地ヲ買収シ外柵ヲ設ケタリ市
村合併ノ従久留米教育支會ノ管理ニ移シ各
学校職員生徒児童■醸■ニ依リ■ニ鉄柵ヲ
設ケ管理者ヲ置キ以テ之ヲ保管ス
  昭和五年五月  久留米教育支會

と刻まれています。
■は不明文字です。
更にその碑の右に何やらこじんまりした碑と石が…。
何ですか、これは?
碑文を読んでみると、こう刻まれていました。

高山先生自刃ノ前日秘密
ノ書類ヲ庭前ノ手洗鉢ニ
投シ之ヲ破棄セリ此石ハ
其ノ臺石■當時ノ手洗
鉢ハ目下■郡御井町森氏
ノ家ニ秘蔵セリ

なるほど、もの右の石は手洗い鉢の台座だった石ですか。
普通の何の変哲もない石ですが、そんな謂れがあるんですね。
…というわけで、前回よりも更に早足でしたが、高山彦九郎関連の地を巡りました。
明治の歴史は苦手で…。
あまり馴染みがなく、知らない歴史なので、いい勉強になりました。

さて、次は何処へ行こうかなぁ!