山脇 治右衛門 に関する私的備忘録

以下は、月城が現在知っている限りの『山脇治右衛門』に関する事柄の私的備忘録、つまり個人的なメモです。
色々な資料や書籍や雑誌などから拾い上げていったものが多くあり、また記憶違いもあるかもしれません。
わかる範囲、知っている限りを記載しておりますが、間違いが判明した場合はその時点で修正をすることとします。

【山脇 治右衛門(ヤマワキ ジウエモン)】
・生 1809年(文化6年)〜没 1871年(明治4年)2月14日
・郡上藩 藩士
・凌霜隊の山脇金太郎の義父
・山脇治右衛門、山脇冶右衛門、山脇次右衛門、山脇正凖、山脇正準と資料によって微妙に名前の記載が違っている。墓石によると「山脇治右衛門正凖」が正しいらしい。(TAKI様よりの情報です)ちなみに正凖は「まさのり」と読むらしい。「正凖」は彼の諱(いみな)か?

【略 歴】
・文化6年(1809年)郡上藩・江戸藩邸にて生まれる。
・越後流要門派の兵学を中心にして諸流を学ぶ。
・嘉永4年、赤坂に私塾・講武塾を開く。(門下生は三千人をこえていたとも・・・)
・文久3年(1863年)、幕府の陸軍制度取調御用掛となる。このとき14代将軍・家茂公に従い、大阪へ上った。
・15代将軍・慶喜公の頃には歩兵差図役頭取となり、幕府軍の三兵の編成にも関わっている。
・慶応4年(1868年)に御初穂料「金五拾疋」を龍爪山へ寄進している。参詣時の詳細な日付は不明だが、奉納した時の包みか控えが残っているらしく、そこには『御初穂 金五拾疋 青山大膳 内 山脇治右衛門』と記載されているらしい。郡上藩主の青山様の名前が記載されていると言う事は、郡上藩関連の参詣だった可能性も・・・!?
・同じく龍爪山にある穂積神社には、彼の記した『砲術彙解』と言う本が宝物として納められているらしい。しかもこの本はどうやら彼自身が奉納したもののよう。
・彰義隊へは江戸城開城に前後して関わり、第二次編成にも深く関わったと噂されているが詳細な資料は何も残されていない。
・彰義隊関連では山脇“次”右衛門として名が残っている。
・それらが、実在すら危ぶまれ、幻の軍師、影の軍師と呼ばれる所以であると思われる。
・しかし第二次編制時より参加した彰義隊の丸毛靭負(まるもゆきえ)も、晩年、治右衛門が彰義隊編成へ関わっていたと証言している。
・明治初年、兵部省へ出仕するも、間もなく引退。
・明治4年(1871年)2月14日没す。享年63歳。

【著作について】

『海防四百首』 山脇正準 出版年:不明(日本海防資料叢書内に収録とのこと)

『兵士軍陣大がい長歌并短歌』 山脇正準 出版年:天保14年

『武装次第:附用具』 発知親常・撰/山脇正準・訂 出版年:嘉永3年

『砲術彙解』 山脇正準 出版年:不明

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【参考とさせていただいたもの】
『鶴ヶ城を陥すな 凌霜隊始末記』謙光社/藤田清雄
『矢野原与七 凌霜隊戦記 辛苦雑記 改訂版』郡上史談会/野田直治・白石博男 編
『決定版 新選組・彰義隊・白虎隊のすべて』

その他関連書籍より